立候補にいたる道、なぜ還暦親父が日本保守党に?その5
老いていく親と暮らすということ
父の死後、東京で母と暮らすことになり、京王線の笹塚駅近くの親戚が所有しているマンションでの生活が始まりました。
叔父の娘夫婦(つまり私にとっては従姉妹)が住んでいたのですが、夫の海外赴任に家族全員でついていくことになり、たまたまその部屋が空いていました。
当時、私は30代前半、母は60代後半でした。
母はもともと椎間板ヘルニアを患っておりましたが、東京で暮らし始めた当初はまだまだ元気で活動的でした。
偶然にも近所に高校時代の同級生が暮らしていたり、実の姉が同じ京王線の調布市に暮らしていることもあり、友人や親戚との交友関係も活発になってきました。
関東周辺に住んでいる小学校や中学校の同窓生も少なくなくて、小さな同窓会的な集まりもよく行われていました。
東京に慣れてくると、一人で新宿に出かけたり、上野の美術館まで足を伸ばしたりと、母なりの冒険を楽しみ始めました。
妻に先立たれた高齢男性は一気に元気を無くしていくけれども、逆に夫に先立たれた高齢女性は元気になってくる、というようなことを聞いたことがありますが、母もまさにその典型だったのでしょう。
決して父と母の関係が悪かったということはなく夫婦喧嘩をしていた記憶もないのですが、父が亡くなったことである意味、母は自分の人生を生き直していたのかもしれません。
日本統治下の朝鮮の大邱で生まれた母は、中学に入学する頃に終戦を迎えました。
その大邱での小学校の同窓生たちと一緒に、自分たちが生まれ育った街を訪ねるための韓国旅行に出かけたこともあります。
前回記したように、私はとにかく仕事に忙殺されており一緒に過ごす時間もなかなかできなかったので、母がアクティブに動き回ることを嬉しく思っていました。
しかし年齢を重ねることで、母の活動はだんだん制限されていくようになります。

2016年の冬、フリーランスのライターとして仕事を始めた頃。短髪に飽きて、髪の毛を少し伸ばしていた。