働きたい人が働ける街づくり

母と暮らして知る高齢者の姿
私の父は長崎の出身、母は戦争前に韓国の大邱の日本人街で生まれ戦後に大分の長崎に引き揚げてきました。男三人兄弟の末っ子である私が高校を卒業するまでは大分県別府市で暮らしていましたが、その後、両親は長崎から北九州に引っ越していました。
私が32歳の頃、父が急逝。体調を崩して入院して、それから3週間で亡くなったので、あっという間のことでした。
私の兄弟は全員関東に住んでいます。母を一人九州においておくわけにもいかず、かといって兄二人は結婚して家庭を築いているので母と同居するのは現実的ではない。私はゲイで独身なので、母と一緒に暮らすのが一番だと考え、東京で母との生活が始まりました。
自分が大人になってから親と暮らしてよかったと思う点は、母が老いていく姿をリアルに感じられたことです。
60代から70代、80代と歳を重ねていくことで、母ができる家事がひとつずつ減っていき、私が代わっていくようになりました。
私の母の場合は、椎間板ヘルニアを患っており、加齢とともに腰が曲がってしまったことも日常生活に支障をきたした理由だと思います。
そんな母の姿を側で見ていたため、高齢者には何よりも的確な『支援』が必要だと思い込んでいました。
元気な高齢者と働いて分かったこと
しかし、高齢者には個人差が大きいことを実感する出来事が起こりました。
2年半ほど立川市内の洋食屋『にゅうとん』で弁当移動販売の仕事に従事しました。午前8時半から店の2階に弁当箱を並べて、おかず、副菜、ご飯を詰めて蓋をしてシールを貼って割り箸とともに輪ゴムで止めていく。重たい物を持っての階段の登り降りも多く、結構な肉体労働です。
この仕事の先輩が、私より10歳上と20歳上の女性です。お二人とも本当に元気で、朝からガンガン仕事をしていきます。還暦の私が最年少というのも素敵な仕事場だと思いませんか?
そんな二人の先輩の姿を見て、ひとくちに”高齢者”とまとめてしまってはいけないと痛切に感じ、私は考えを改めました。
「高齢者と一口にまとめてしまってはいけない。元気に働ける人と、支援が必要な人では直面している問題がまったく異なっている」
さらに高齢者雇用の問題も知ることができました。
・年齢にかかわらず元気に働ける人はいる。
・近所でパートの仕事を求めている人は少なくない。
・慢性的な人手不足に悩まされている店は多い。
・求人広告にお金を使っても費用対効果が思わしくない。
・高齢者のパートを雇用するにしてもお金はかけられない。
このような状況を理解すると、働きたいと考える元気な高齢者と慢性的な人手不足に悩む雇用主をマッチングさせられる仕組みが必要だと真剣に考えるようになりました。
少子高齢化はどんどん進み、若年層の労働人口は減少する一方です。逆に平均寿命が伸びて年金だけでは生活ができない元気な高齢者は増え続けています。
高齢者にとって仕事場という居場所がある、ひつようとされているという実感があることは、何よりの生きる励みになりますし、体を動かして働くことは健康寿命を少しでも長くすることにつながります。
そして真面目に働く人材と出会えることは経営者にとってもプラスにしかなりません。
立川市内で働きたい元気な高齢者と、慢性的な人手不足に頭を悩ます経営者の方が出会えるシステムを実現していきたいと、私は考えています。
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